2023年を一文字で表すと、「別」だった。
人間としての、いわゆる今生の別れもあったし、同僚としての別れもあった。以前は当たり前と思っていた生活には戻れない、そういう意味での別れも経験した。2023年は年初から1年を通して、そういうことが多かったように思う。もちろん、出会いの機会をいただくこともあったのだけど。
身近なところでの話が多かったが、自分と直接関係のないところでは、世界的なソフトウェア開発者である Bram Moolenaar 氏1の他界も挙げられる。今後も、Vim というソフトウェアは使われ続けるだろうし、氏の名前も残り続けるとは思うのだけど、人間というのは儚いものだなと思ってしまう。
自分などは、ソフトウェア開発者としては凡庸であり、やってきたことには儚さを覚える余地もないわけだが、それでも自分は普段一体何をしているのだろうかとか、これからソフトウェア開発者としてどうしていくべきかなど、当たり前のことは考え続けていくのだと思われる。迷っているわけではないが、何者にもなっていない。
一子の親としては、できるだけ長く、子の行く末を見させてほしいと、ただただ願っている。男子なので、どこかのタイミングで勝手にしろという風になるのかもしれないが、少なくともあと数年は見させてほしいと思っている。自分の生きる意味は、今のところそれが根幹になっている。
2023年は、上記のようなことを考えさせられた年だった。当たり前と呼べるものなどないとか、自分は大丈夫といった根拠のない自信などは通用しないとか。勝手に100歳くらいまで何事もなく生きられる前提になっていた気がして、自分の傲慢さにやや呆れる。若い頃は、辛気くさいとか縁起悪いのひとことで流していたのだろうと思うのだけど、だんだんそういう誤魔化しは効かなくなってくる。自分事として受け止める姿勢が必要になったのだと思う。
ただ、そういったことに気付かせてくれた年でもあったわけなので、改めて、日々楽しいことや辛いことやその他いろいろなことに感謝して生きていかなければと思い直した年であった。